乗り遅れた車中で……
「はぁ、はぁ…。くそっ、間に合わなかったか……」
急いで駅のホームに駆けるが、一歩遅く電車は行ってしまった。
「はぁ…。まあ、私自身は次の電車で間に合うとして、コイツは完璧に遅刻だな…」
と、私の背中で人事のように眠っている名雪に目を向ける。
高校卒業後、私はかねてから志望していた岩手県立大学に入学した。ちなみに名雪は教員採用率が高く、日本文学に興味があるという事から私立の盛岡大学という所に進学した。どちらも日本一人口の多い村で有名な滝沢村にあるので一緒の電車で通学している。
「やはりあっちに下宿した方が良かったかな……」
と次の電車を待ちながら、私は自分が選んだ選択に後悔している。電車で片道1時間以上掛かる距離であるから下宿してもいいものだが、通えない距離ではないし、通学した方が安上がりなのでメリット、デメリットを充分に考慮して結果的に通学する事にした。しかし、講義が始まる辺りになってある重大な事に気付いた。1時限に間に合うように登校するには、7時の電車に乗らなくては間に合わないのである。高校時代は7時辺りに起きていれば良かったのに、大学になってそれより早く起きなくてはならなくなったのは辛いものがある。
もっとも、それだけなら以前より30分早く起きればいいだけなので、慣れれば大変な時間ではない。問題は名雪の方である。大学が私の大学より2キロは遠くにあるだけではなく、講義開始時間も早いのである。それを考慮すると6時台の始発で行かなくてはとても間に合わないのである。
そんな訳で5時半辺りには起床しなくては間に合わないのだが、7時の起床でさえ苦戦していた名雪にとって5時起きは正気の沙汰ではない。案の定全く起きられないようなので、毎日私が強制的に起こしている。私自身は7時の電車で間に合うので別に名雪と一緒に行かなくても良いのだが、駅に移動するまで名雪が寝てしまうのではないかと心配なので、そうならないように監視も含めて一緒に登校しているのである。また、名雪がこの状態なので駅までは春菊さん運転の車で移動しているのだが、困った事に名雪は車の中で再び深い眠りに就いてしまうのだ。名雪の目を覚ます時間もないので、仕方なく駅口からホームまでは私が名雪を背負って移動している。
それにしても電車通学するようになって、改めてここが田舎である事を痛感に思い知らされた。驚いた事に、電車が基本的に1時間に1本しかないのである。通勤通学の6時〜7時台は流石に1時間に2〜3本はあるが、それでも数分置きに次の電車が来る都会とは大違いである。盛岡駅から滝沢駅までの連絡の時間が乗る電車によっては30分以上掛かる事もあり、下手をすれば僅か1分の遅れが1時間の遅れになる事もある。講義が始まった当初は本当に大変だった。私自身新しい生活に馴染むのに時間を要し、4月中は2日に1回は電車に乗り遅れていた。
「くそっ、あの指パッチンオヤジさえ出て来なければ……」
新しい生活に慣れてきた辺り、私に新たな難関が立ち塞がった。スーパーロボット大戦αの発売である。兼ねてからの期待の新作であり、64を持っていない今川ファンの私にとって、ジャイアントロボの参戦は何よりの朗報であった。そんな訳で購入した当初はGR見たさに深夜遅くまでαにのめり込み、遅刻の日々が続いた。無論、私が起こさない限り目を覚まさない名雪もその影響を受けたのは言うまでもない。
序盤を過ぎた辺りからGR関連のイベントは影が薄くなり、暫くは普通に登校する日々が続いた。だが、中盤を過ぎ新たな主人公ロボが登場するに至り、それにGRのネタが絡んで来た。BF団が十傑衆素晴らしきヒッツカラルド、生身で国際警察機構北京支部に潜入、同支部を指パッチンで破壊しまくる、しかも声付き。…私に死ねというのか…?新たなる主人公ロボ登場という只でさえ燃える展開にGRのイベント、新たなる主人公ロボを縦横無尽に活躍させながらひたすらGRのイベントに浸る…。その狂騒の宴は深夜遅くまで続けられた…。
「後期はもっとしっかり生活しないとな……」
そんな事を考えながら次の電車を待ち続けていた……。
「失礼、今はどの辺りだね?」
「えっ?ええっと、あと少しで北上に着く所ですが……」
電車に乗車しいつものように寝易い席を確保しようとした。基本的に私は12時過ぎまで起きており、平日は5時間程しか寝ていない。よって車中でその足りない時間を補っている。
寝るのに最適な場所は一車両に全部で8席〜12席ある。それは乗車口のすぐ横の席、この席は乗車口と席を隔てる壁みたいなのがあり、ここに肩と頭を寄りかからせて寝ると最適である。車両によっては1スペース分がトイレになっていたりして、その関係で最適な席の数が少なかったりする。
しかし運の悪い事に、今日はそれらの席が全て人で埋め尽くされていた。考える事は皆同じで、始発で席がガラガラでも大概その席は人が座って眠りに就いている。よくよく考えれば、今日は始発の次の電車であり乗車人数が多いのは必然である。よって対睡眠一等席が既に埋め尽くされていても不思議ではない。かといって僅かな希望に掛けて他の車両の一等席を探し続けるのも見っとも無いし、何より名雪を背負いながら車中を闊歩するのは体力的にも疲れる。そんな訳で今日は一等席のすぐ横の席に座った。運が良ければそこに座っている人が早く降り座れるだろうと思ったからである。
そんな感じで座りながら眠気にさいなまれ、うとうとしていたら不意に一等席に座っていた人に声を掛けられた。その掛声に入り私はハッと目が覚め、とりあえず電車の外を眺めて現在位置を把握し、質問に答えた。
「そうか…。となると花巻までは後2駅か……」
私は訊ねて来た人の風貌を見る。黒い服を着て、長い前髪から鋭い眼光を光らせている年齢が私と同じ位の青年男子である。
「それにしてもここが日本で良かったな。もしここが米国だったら君は間違いなくこの場で私に射殺されていた所だろう……」
「はいっ!?」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏にある直感が過った。昨今の青年にしては余りにも寛容な態度の接し方、そしてその黒に身を纏った身体…。その2つから導き出される答えは只一つ…、
(間違いない!この男、私を殺す為に中国が差し向けた暗殺者だな……)
そう思い私は気を集中させる。流石は中華人民共和国、いずれは私が中華帝国にとって危険な男になるのを事前に察知していたか…。相手は恐らく北斗神拳の使い手…、ならばこちらも我流の業で……。
「ハハ…、すまんすまん、軽い戯言だ。そんなに殺気を出さんでくれ…。しかし、こんな明方から車中で恋人同士で戯れ会っているのは公共の妨げだな……」
「ああ、成程…。言っておきますが私の肩に寄り添って寝ているのは、私の単なる従姉妹ですのであしからず」
「何だそれはつまら…ん…いや、疑って悪かったな……」
私と名雪が恋人同士に誤解されるのはよくある事である。はたから見れば恋人同士に見えるのは当然であろう。口で言わない限り従姉妹の関係にはとても見えないであろうから。それにしても、冷静に考えれば相手が中国の暗殺者でない事は当初から分かっていた事だろう。拳法使いが銃を使う筈はない。そもそも私自身いちゃついてるカップルを見つけたら、感情の赴くままに完成へ近づいたペガサス流星拳で瞬殺するであろうから、人の事は言えない。人を見掛けで判断するなとはよく言ったものだ、危うく私もこの青年を見掛けで判断する所だった。そもそも私は人の気配を読めるのだ、怪しいと思ったのならまずその気配を……、
「疑って済まなかったな…。詫びに良いものを見せて上げよう……」
(えっ!?)
私が気配を読み取ろうとした瞬間、青年はズボンのポケットから古ぼけた人形を取り出した。そしてその人形に手をかざし、念を送る……。彼の気が高まって行くのが手に取るように感じられる。
「!?」
刹那、私の頭上にニュータイプが何かを察知した時に鳴る超音波に似た音が響き渡る。そして不思議な事に、青年の手にかざされた人形がまるで意志を持ったかのように動き出す…。
「こ、これは……この感じは……」
それだけではない、男が人形を動かし出したと同時に辺りの景色が変わって行く…。何処までも何処までも広がる大空…、そしてその大気の中心には私とその青年の姿しかない……。
(これは…大気……?それに何故私とこの青年だけが……。もしやっ!?)
「ん、どうかしたかね?」
「え!?、あ…、ああ……」
その青年に声を掛けられ一瞬彼方へと飛び立っていた私の意識は元に戻る。そして辺りの情景は何の変哲もないいつもの車中に戻っていた。
「すみません、何だか意識がぼおっとして……」
「はは…、それにしても私の芸にそこまで魅入った男は君が初めてだな…」
「ところで、さっきの人形、あれは何で動かしていたのですか?とても糸やピアノ線で操っていたようには見えないのですが…」
そう、まるで何かの力に操られていたかのように……。
「勘が鋭いな…。君の察しの通り、これは糸とかピアノ線とか、そういった類のものは一切使用しておらん。これは法術というもので動かしているのだ」
「法…術……?」
「まあ、一種の超能力みたいなものだ。もっとも、昔は色々な芸当が出来たというが、今は人形を手に触れずに動かす程度の事しか出来んがな」
法術…、いや違う…。その力の名前はそんなありふれた名前ではないだろう……。恐らく私と同じもの、もしくはそれに類する力……。
「あのっ、すみませんが…」
『花巻〜花巻〜。釜石線にお乗換えの方は〜〜……』
その青年に声を掛けようとした瞬間、車内アナウンスが流れ出した。残念な事に直に男の目的地に着いてしまう。
「おっ、会話をしている内に直に目的地に着くな。では青年よ機会があればまた会おう。もっとも、旅の出会いは一期一会、余程の僥倖に巡り会わん限り再び合う事もあるまい」
「旅?」
「ああ。10代前半の頃から全国放浪の旅に出ている」
「10代前半!?一体何の目的で……」
「翼を持った人を探している……」
「!!」
「もっとも、幼き時母親から聞いた昔話である故、信憑性は定かではないがな……」
「…では何故貴方は探し続けているのですか?」
「普通の人はとても信じん話ではあるがな、このような力使える故に何となくだが存在する気がしてならんのだ……」
力…、広がる大気…、そして翼を持った人……、この人はやはり……。
「あっ、あの!」
私はその青年に声を掛けようとした、真相を、更なる素性を訊く為に。しかし進む電車は止まる事を知らず、電車は花巻の駅に辿り着いた。
「着いたな…。不思議なものだ…、君と話していると私の知っている事を色々と打ち明けたくなってくる…。ここで別れるのは残念だが、それもまた旅の定めか……」
そう言い終えると男は席から立ち上がり下車の体勢に入る。
「待って下さい!貴方は旅をしているんですよね、これから何処に向かうのですか!!」
「遠野だ。旅には資金が必要だ。かの地ならば円滑に資金調達が出来そうだからな」
それがその青年が私に言った言葉だった。そう言い終えると青年は下車した。
「遠野に行くならそこの博物館に行ってみて下さい。そこで私の妹が働いています。何か困った事があればそこに寄ってみて下さい!!」
次々と人が乗車していく中、徐々に過ぎ去って行く青年に対して私は必死に声を掛け続けた。そしてドアが閉まり、再び電車が動き出した。最後に青年は電車に向かって手を振ったので、恐らく私の最後の言葉は通じたのだろう…、そう思いたい……。
「さて、一等席も確保出来た事だし、寝るか……」
そうして私も終着駅に着くまでの暫しの深い眠りに就いた……。
「もしもし、霧島(きりしま)さんのお宅ですか?今そちらに真琴は居ますか?」
電車が盛岡駅に着き滝沢までの連絡を待っている間、私は真琴が遠野でお世話になっている家に電話を掛けた。
『その声は祐一君だな。今の時間帯に掛けてくるという事はまたαを徹夜でやり込んで電車に乗り遅れたな?』
「うぐっ、その通りです……」
『ところで何処まで進んだかね?ちなみに私は新しい主人公ロボが出て来たぞ。龍虎王に虎龍王…、フフッ、あれはいいぞ…いつか私もあのようなロボットを発掘してみたいものだ……』
「あの…、聖(ひじり)さん、戦況報告はいいですから、とにかく真琴を……」
『ああすまない、では今変わるぞ』
「今の所コール音は『勇者ライディーン』か…。明日辺りは『我ニ敵ナシ』に変わっているんだろうな……」
『あうっ、お待たせ兄様!』
「ああ、真琴、実はだな……」
『……分かったわ…。その人を兄様が遠野に来るまで止めておけばいいのね』
「ああ、頼む。その青年は私が探している人物かも知れないからな」
『じゃあね、兄様。ゲームばっかりで遊んでないでちゃんと大学に通うのよ!』
「ああ、じゃあな真琴」
真琴に用件を伝え終わると私はホームのベンチに腰掛けた。
「ふぁぁ〜、ふぁれっ、ここ何処?」
「盛岡駅のホームだ」
「盛岡駅のホーム?何で……?」
「それは電車に乗り遅れたからだ」
「えっ?えっ?」
目を覚まし状況が把握しきれていない名雪をに、私はからかい口調で現状の説明を施す。
「うーっ、祐一、また夜遅くまでゲームで遊んでたんだね……」
「遅刻したくなかったら自分で起きられるようにするんだな」
「うーっ、夏が来るまでは努力して起きられるようにするよ……」
「後期が始まってからでいいぞ。今起きられるようになったら前期が終わるまで梅雨が続きそうだからな」
「うーっ、いくら何でも酷いよ祐一……」
「ははっ…、冗談だ……」
今は7月、東北の梅雨はまだ明けない。そして梅雨が明けると短く、そして暑い夏がやって来る……。
――夏はもうすぐそこまで来ていた――
…完
戻る